和歌山には、海南市にある「海南発電所」、御坊市にある「御坊発電所」の他、和歌山市でも「和歌山発電所」が計画されており、火力発電所は複数あれど「原発」はありません。
紀南の方では、大きな都市である大阪からは距離がある、比較的土地に余裕がある、海に面している、という原発に適した条件が整っており、建設・稼動していても不思議ではありません。
原発を建設・運営すれば「電源三法」という制度により、立地地域には「交付金」が支給されて振興効果がもたらされ、和歌山はより発展することでしょう。
それなのに何故無いのでしょうか?
違います。
「無い」ではなく、「拒否」したのです。
原発こと原子力発電所。
チェルノブイリや福島の事故により、その危険性や事故発生時・発生後の破滅的な破壊力はもはや説明不要です。
福島第一原子力発電所事故は2011年、チェルノブイリ原子力発電所事故は1986年に発生、スリーマイル島原子力発電所事故は1979年、それらの事故よりも前から和歌山に計画されていました。
初めて計画が上がったのは1967年、建設予定地は日高町。
その後、那智勝浦町、日置川町(現在の白浜町)、再び日高町。
特に、日置川町では推進派と反対派が対立し、大論争になったそうです。
スリーマイルやチェルノブイリの事故が発生する前から計画があったわけですから、発展を望む推進、万が一の事故を懸念する反対、果たしてどちらが正しいのか、当時は特に判断が難しかったかもしれません。
そして、阪神淡路大震災前は「関西には大地震は来ない」という安全神話があったことも、判断が分かれた理由のひとつかもしれません。
原発と地震の両方の安全神話が崩壊し、今後は「南海トラフ地震」の発生の可能性もあること等を考えると、和歌山の判断は正しかったと思います。
ただ、原発の必要性の問題となると、私は今も答えを出せません。
こうして記事を書いているパソコンも電気を使用しているという事実、人工呼吸器などを使用されている方等にとっては電気は命であること、電動の機械を使用しなければ動けない方にとっても電気は身体と命であるということ。
安定した電力を供給する為にはまだ必要ではないか、原発に変わるシステムが確立していない状態で突然原発ゼロにするのはどうか、しかし福島の事故とリスクを考えればすぐにでも原発ゼロにすべきでは、等々、個人的には答えが出ません。
しかし、もし、和歌山に原発が存在したら。
原発の交付金から得られる発展ではなく、郷土を守るという意思を貫いた和歌山の声は素晴らしいと感じます。